「リカの引っ越し」
( pindahan Rika )

 昨年の6−7月に2ヶ月帰国した際、家の犬たちの世話や電気代の支払いなどを芸大の友人が手伝ってくれた。彼女はジョグジャではなく、西ジャワのバンドゥン出身なので、もともとここでは下宿していた。私の帰国以前から、下宿があまり好きではなく、近々一軒家を探して移りたいと言っていたので、それなら2ヶ月の間、家探しをしながら私の家にそのまま泊まってくれたら、彼女も毎月の家賃を払わずにすむし、私も犬達の面倒を頼める。ありがたいことに、彼女はクリスチャンなので、もともと犬には慣れていた。これがジャワ人のイスラム教徒だと、犬を怖がる人が多いので少々困る。

そんなわけで彼女は私の留守中ずっとこの家に留まり、毎日犬のえさをやったり、毎月の電話代電気代を払ったりしてくれた。そして私が帰ったときにはまだ家が見つかっていなかった。留守中は私の寝室も使えるし、仕事部屋の机にPCを置いたりもできたけれど、私が日常に戻って生活を始めたら、彼女の荷物はどうしても邪魔になる。けれど、彼女にはまだ移る家もない。

「しばらく大きな作品を作る予定があるわけじゃないし、それなら家探しする間は私のスタジオの一角で自分のスペースを作ったら?」
と勧め、スタジオの一角、2x4mほどを棚やダンボールで区切り、彼女はそこに自分の空間を得たままなかなか家を探す様子もないままだった。 私自身も人がいるのは安心感がある。特に、スタジオはこの家の入り口でもあり、外から人が入ってくるとしたらここからなので、彼女には悪いけれど、何かあっても彼女がまず気づくだろうという思いもあった。朝起きて、人の気配がするのは、長年一人暮らしできた私にはあったかいイメージもあった。

けれど、人は勝手なもので、自分の家で他人が勝手をするとカチンときたりもする。これがフィフティ・フィフティのシェア友達だったら話は別だろうが、彼女はあくまでも「居候」、私の家の掃除、洗濯物の干し場所、そうしたものはちゃんと守ってもらいたい(姑根性か?)。そうしているうちに、私にもグループ展のお誘いがあって、大きな絵を描きはじめたりして、彼女もしばらく暖かい寝床を得て忘れていた家探しを再開した。

そしてようやく決めたのが2月の初旬。結局は一人ではなく、同じ芸大の後輩、バリ人の女性の家をシェアすることにした。バリ人のシェア相手が出て行き、一人で一軒家を借りるのは負担だった彼女が、またシェアできる友人を探していたところだったのだ。

決まってしまうとこれがまた淋しい。けれどこればかりはどうしようもない。私だって、ずっとスタジオを使われていたのでは思うように制作もできない。人が見にきたときでも、スタジオの一角がダンボールで区切られ、その後ろからごちゃごちゃした荷物が見えていたのでは少々恥ずかしい。今まで一人でやってきたのだから、淋しさもしばらくのこと。淋しさの反面、彼女が出て行った後にスタジオを片付けて、これを作りたい、あれを作りたい・・・というイメージもたくさん湧いていた。

そして我が家の居候、RIKAは2月末にここを出て行った。ガランとしたスタジオを見て、最初は淋しかったけれど、しばらく隅に積んであった絵を出して壁にかけたり、拾ったりもらったりして集めた、いつか作品に使おうと思っていた材料を出してみたりしているうちに、こんな広いスタジオを持っていたんだなーと、嬉しくなってきた。RIKAは出て行っても、私の家の周辺が我々の行動の中心地(ギャラリーも作家の家もこの地域に集中している。どこへ行くにも、私の家の前の道を通ることが多い)なので、いつだって会える。たとえ女友達であろうと、恋人といっしょ、たまに会うから新鮮だし、新しい話題もあるというものだ。 そしてそのとおり、今でも彼女は近くまで来ると電話をかけてくる。

「ねぇ、よく一緒に行った屋台で夕飯しない?」

我がスタジオ
広さを取り戻したわがスタジオ。一番採光のいい場所をリカに使われていたので、
絵を描くにもとても暗かった。今はとても快適に制作できる。


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