母の日美術展」
( Pameran Hari Ibu)

 インドネシア、特にイスラム圏のエリアでは、1年の節目を実感するのは西暦の1月1日でも、ジャワ暦の第1月の1日でもなく、イスラム暦の断食月が明けた日、イドゥル・フィトゥリだ。イスラム暦は1年が354日の陰暦を採用しているので、毎年少しずつずれていくが、2004年は11月14日に断食が明けた。この1週間くらい前から帰省ラッシュが始まる。そしてレバラン(断食明け)休暇は約1週間、その次の1週間も人々はまだまだ休暇気分、日本人の正月三が日で正月気分が抜けないなんてまだまし、ここでは断食明けの前後3週間ずっと「休暇ボケ」しているようなものだ。

 イスラム教徒の1年に1度の大きな祝日レバラン、私は逆にこの祝日に縁のない仲間、ヒンドゥー教徒であるバリ人の友人を集め、豚料理パーティを開いた。イスラム教では豚肉はご法度、イスラムの祝日に豚料理など不謹慎ではあるけれど、私はイスラム教徒じゃないのだから仕方がない。ファナティックな教徒の集まったエリアだったら村八分、あるいは袋叩きになるところでも、ジョグジャカルタの街は外から入ってきた人間も多く、別の民族、宗教も受け入れられる寛容さがあるからいい。

 今回の豚料理パーティに集まったのはバリ人の友人7名、クリスチャン1名、マレーシアからの留学生(彼女はイスラム教徒だけれど豚を食べるらしい)、ジョグジャ出身の2名(彼らもイスラム教徒。美味しいものは食べる主義なので豚もOK)。バリの友人と用意した豚肉のバナナの葉包み焼き、ケチャップ和えなど数種の料理に舌鼓を打ちながら夕陽が沈むまでワイワイみんなで語り合った。

 さて、豚料理の話はさておき、このパーティにやってきて久しぶりに会った元同居人のリカ(彼女はチャィニーズでクリスチェン、豚料理は大好き)が言う。
「あ、ミドリー、 今度の国立ギャラリーの展覧会、出品するんだよねー・・・」
聞けば12月22日の「母の日」(理由は知らないがインドネシアの母の日は12月)にちなんだ女性アーティストによる展覧会がジョグジャカルタ国立ギャラリーで開催されることになっていて、私も招待作家の一人なのだという。けれど私の家にはそんな招待状などきていない。リカはもともと若い娘らしくおしゃべり好きの噂好き、でも仕入れてくる情報が独りよがりの間違いだらけということもよくあるので、きっとリカの勘違いなんだろうとほっておいた。

 それから数日が過ぎ、レバラン休暇ボケも戻った11月の最終週、わが家に招待状を持って国立ギャラリーの担当者がやってきた。
「いやーーーミドリの家がどこかわからんくてねぇ〜〜〜」
招待状を読めば、ギャラリー側の正式なサインが入れられた日は11月6日、私の手に届くまでに20日近くが過ぎていることになる。いくら大切な休暇とはいえ、展覧会のオープニングまで1ケ月を切ってから作家を招待するとは・・・。さすがにインドネシアである。

 あまりの時間のなさに、一度は断ろうとも思ったけれども、ここで私は考えた。今回の展覧会は親しいキュレーターが作家を選考している。展覧会趣旨には「ジョグジャカルタを中心に活動している女性作家」とある。つまり私はジョグジャの作家であり、『女性』作家であることを認められたことになる。

ヒロタミドリ作品

 「母の日」にちなんで女性作家を集めるなんてあまりにも平凡なアイデアではあるけれど、自分の作品をたくさんの人に見てもらえるいい機会には違いない。少なくともこの国立ギャラリーはジョグジャのレベルでは非常にまともな展示スペースだし、国立ということもあり、開催されるイベントには多くの人が見に来てくれる。ぎりぎりの時間しか残されていないけれど、私は結局この招待を受けた。

 10月頃から私には新しい作品のアイデアがあった。年をとったからか、最近仏像や菩薩の手を見て気持ちが和んでいたのだ。もともと私は祈りの手の形が好きで、バリの踊り子をモデルに手の写真を作品にしていたこともある。身体の部分では手、特に指に対して一番興味がある。昨年春に作った人の形のオブジェには石膏を使ったけれど、その強度や制作のプロセスは私にはしっくり来なかった。今度は久しぶりに陶を使いたいと思い、今回の招待状が来る前から粘土を買っていたところだった。
 とはいえ、今回招待状を受けてからその1ヶ月後には展覧会、陶を焼くには作品を乾燥させる時間もいるし、ヒビ割れなく焼けるかもわからない。けれど試し焼きをしている時間もない。リスクは大きかった。それでも私はどうしてもこの機会にこのアイデアを実現させたかった。

 こうして一か八かで作った作品、展覧会のオープンから逆算して最悪でも5日前には焼きあがっていたい。一度の焼きで失敗したらもう後はない、という状態ではあったけれど、なぜか今回の作品には不思議と「必ず焼ける」という確信があった。今思ってもなぜかわからない。きっと素人の強み、陶の大変さを知っている人はきっと失敗もたくさん経験しているからマイナスの可能性も計算に入れるのだろうけれど、私のような素人は強い。
 とにかくこうして菩薩の手は完成した。少しヒビの入ったものもあったけれど、8対必要なところ、もしものために14対作ってあったので問題はなかった。菩薩の手ということで神様も味方してくれたか、感謝・・・。

ヒロタミドリ作品

 運良く成功した陶の手型は小さな座布団にのり、チークのたんすに収められた。この座布団にはどうしても日本の布を使いたくて、わざわざ実家から送ってもらった。母が家にあるハギレを選んで送ってくれた中に、私が小さい頃から好きだった、母の嫁入り道具の座布団セットに使われている金糸の獅子の模様入り布が入っていた。早速私はこの大好きな獅子で座布団を作った。

 12月22日、この女性作家20名による展覧会は、インドネシアの近代美術の祖といわれるアファンディの娘、カルティカ氏(彼女も有名な画家で、今回の展覧会に出展)によって幕が開いた。混雑する会場の中、知人と立ち話をしているところにカルティカ氏が来て、
「あなたね、あの作品作ったの。私とても好き。感じるものがあるわ」
と感想を話してくれた。
 彼女はカタログから私の電話番号を知ったようで、翌日に電話をくれ、家に来て一緒にランチを食べようと誘ってくれた。彼女の家はジョグジャkの丘陵地にあり、ジャングルのようだと聞いていた。翌日私がそこへ行くと、彼女は唐突に話し出した。
「私には今、プライベートミュージアムを立てる準備があるのよ。この前あなたの作品を見たときに、これはミュージアムを入ってすぐの場所に置くべきだと思ったわ。あなた、作品は売らないの?」
 ジャワ人で、さらに70歳になるオバチャマが、こんな単刀直入に金銭的な話を切り出してくるのには驚いた。さすがは小さい頃からアファンディについて世界を周り、西洋文化に接してきた人だけある。逆に私の方が突然の質問に驚き、その場では返事ができなかったのだけれど、家に戻ってキュレーターの友人や作品が売れている画家の友人に相談し、自分でも納得のいく額を彼女に提示すると、
「OK。私、買うから」
このテンポがすごい。自分の作品を託すのに最適な人との出会いがあった2004年の終わり、これは新しい年の吉祥のはじまりかもしれない。これも菩薩の恵みだろうか、感謝して合掌。

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