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| ( Bencana Tsunami di Aceh) クリスマスから間もなく、実家の母から電話があった。 日本の報道がどこまでを伝えているのかわからないけれど、今回12カ国が被害にあいながらも、インドネシアでの被害者数は他をぬきんでている。それも生活水準のあまり高くない地域、環境もよくない地域でのことだ。先日の地方紙には、一面カラーで多くの遺体がブルドーザーですくわれている場面が掲載された。その光景はあまりに非日常的で、まるで泥人形を山にしたかのようでぞっとした。 2004年から2005年への年の変わり目、インドネシアでは誰も祭り騒ぎができる状態ではなかった。テレビの生中継、コンサートなどはすべてチェリティとなり、この貧しい国の中でも多くの寄付金が集められた。ジョグジャの街中でもいたるところに高校生、大学生が立ち、今も募金を呼びかけている。この方法が最善かどうかは私として疑わしいけれど(交通の邪魔になるし、見ていて危険)、こうして今回の天災をわがこととして何がせずにはいられない、という若者を見ていると、ここには明るい未来もあるかもしれないと期待も出てくる。また、政権が交代してコルプシ(コルプション=賄賂)のない政治を大統領自らが強くうたっている今、集まった寄付金が正しい目的で敏速に使われることを切に望む。 今では他の地域からの献品にはストップがかかっている。その他の必要物資(飲料水、食料など)と、復旧作業と遺体回収に必要なボランティアを送るだけでも交通が麻痺しかかっているので、急いで必要のないものは後回しということらしい。もともとアチェという場所は独立運動を過激に行う武装集団と国軍の間で衝突の多い地域だったため、今度の救済活動にも他の地域では考えられない問題が多くあるという。そして必ず悲しい目にあうのはまったく罪のない貧しい人たちだ。 大晦日、新年カウントダウンの際に、ある民放ではインドネシアで認められている5つの宗教のリーダー(仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、ヒンドゥー教)が集まり、順番に祈った。宗教も民族も違うこの大きな共和国インドネシアがこのとき個々をを一つにして一つのことを祈った。
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