マリオボロ・ジャミング
(Malioboro Jamming)

  私には3つ上の姉がいる。昔から、何を手に入れるにも姉の過去をチェックする必要があった。我が家では、姉が私の年齢のときに手にすることが許されなかったものを、私が手にすることは許されない、とうい暗黙の決まりがあったように思う。たとえばある遊び道具が欲しいとする。それは姉も私の年のときに買ってもらっただろうか?これをチェックしなければならない。徹底した親の平等精神だったのだろうか。
 姉が中学入学祝いにアコースティック・ギターを買ってもらった。今思えば、うちの父親の趣味が相当影響していたように思う。当時はジョン・デンバーやオリビア・ニュートンジョンのアメリカン・カントリー大流行の時代だった。小学校4年の私はそのバタくさい楽器に憧れたが、姉が中学で手にできたものを小学生の身分で手にすることは許されない、3年待つしかなかったのだった。
 とはいえ、姉はその後早くから今の仕事となった髪いじり(彼女は現在美容院のオーナー)に興味を持ち始め、音楽は聴くのが趣味になっていった。逆に私は演じる方に興味が出、廣田家の法則「姉と同じように中学入学祝いにギター」を守りマイ・ギターを手に入れ、そのまますぐに中学校の軽音楽部に入りバンドを作った。

 数年前の帰国の際、この、憧れだった姉のギターが押入れの中にポツンと残されているのを見つけ、過去の思い出が蘇った。姉の許可を得て、私はこの、生まれて最初に手に触れたARIAのギターをインドネシアに持ってきたのだった。中学生が買ってもらったギター、さほど高価な品物ではないが、さすがに20年以上も経っている年代モノ、木が完璧に乾燥して音がデキ上がっている。ジョグジャの音楽友達たちは、日本製のARIAというだけでも感動なのに、さらに音がいいので羨ましがってくれる。このARIAも主人が美容師になってからは日の目を見ることがなかったけれど、今じゃ外国で活躍、買ってくれた今は亡き我々の父も喜んでいるのではないだろうか。
 バリでもギターは常に手元に置き、なにかあればボロロン弾いてはいたが、Ubudの田舎で一緒に音楽をやろう!という友人は見つからなかった。ところがジョグジャはさすが。ライブ活動が見そめられてプロ・デビューした若者バンドも多く、周りには音楽仲間がウヨウヨいる。ライブハウスに行き、好きな曲を演奏しているバンドがあるとついついステージに上って一緒に歌ってしまう私には、この4年間で何人ものミュージシャンの友達ができていた。

 その中でも一番親しくしているのは、ジョグジャカルタで過去に一世風靡したバンドのギタリスト、ティアス氏。3枚のアルバムを世に送った彼も今はバンドを解散し、ギター教室講師などをしている。けれども彼はいまだにジョグジャの若者から崇拝される身で、もちろん彼自身に若者をまとめて動かすだけのカリスマ性がある。今年の4月からはジョグジャ最大の繁華街(名古屋のセントラル・パーク、東京の表参道といったら想像がつくだろうか?)の舗道で毎週日曜日にジョグジャ周辺のミュージシャンが夕方から夜11時まで演じ、観客はチケットを買う必要もなく、自由にこれを見ることのできるというイベントをジョグジャ市長の支援つきで始めたしまったのだ。なんと、ノックダウン式のステージや機材は市からの寄付、つまり公式な音楽イベントとして認められた形になったのだ。
 しかも一回ポッキリのイベントではなく、その名も「Malioboro Jamming(マリオボロ・ジャミング)」、延々と毎週日曜日の夜に行われる。それでも出演者が尽きないほど、ジョグジャにはストリート・ミュージシャンが多い。

 ティアス氏から連絡があったのは、このイベントが始まって3回目の日曜日の夜だった。そんな楽しそうなイベントは知らなかった!と、早速会場へ行った私は大感動。舗道には人が溢れ、バンドの演奏に聞きいっている。観客と演奏者の間隔もちょうどいい。まさにステージと観客が一体になって楽しんでいるといった感。  このイベントはまだまだ予算に余裕がなく、ティアス氏をはじめとしたスタッフ(言いだしっぺの人々)はボランティアあるいは自分のお金持ち出しで運営している。そこで、バンドが演奏している途中に関係者が観客の間を箱を持って回り、募金を募る。これが毎回、機材のオペレーション、ステージ組み立てなどを無償で手伝ってくれるボランティアのタバコ代などになる。
コンセプトは「Unpluged&Ngamen」。Ngamen(ガメン)というのはインドネシア語で「流し」のこと、このイベント会場であるマリオボロ通りは毎晩多くのンガメンがいることでも有名なのだ。  久しぶりにティアス氏と再会し、楽しいイベントを見た後、ステージの解体を見守りながら話している間に、今度は一緒に演ろう!と盛り上がった。過去に彼とは半分遊びでレコーディングをしたこともある。さらにローリング・ストーンズ世代で趣味が合う。久しぶりの再開からまもなく、彼がうちに遊びに来て2−3回お互いの好きな歌を合わせ、もと彼が一緒にやっていたジョグジャの伝説的ミュージシャンを誘い、ちょっと年寄りバンドの完成となった。

 そしてようやくステージの夜。全員でそろって練習したのは前日の3時間だけというのに、伝説的ミュージシャンである彼らには充分らしい。私一人が緊張する中、彼らはさっさとステージにあがり、淡々と音のチェックをしている。私は隠し持ってきた酒をクイっと呑み、姉の中学入学祝を持ってステージにあがる。
「今晩のメイン!ティアス氏とその友だちによるステージ!ボーカルはこのイベントのためにはるばる遠い国日本からやってきたミ・ド・リ〜!!!」
なんてMCが言うもんだから、どんどん人が集まってくる。
 小心者を自称してもなかなか信じてくれる人のいない私だが、本当に緊張しているのだ。しかし、ステージのライトを浴びるとさっとそれが消える。今回も伝説の人々にバックで守られた安心感からか、好きな歌を9曲ほど演奏し、ジョグジャ・デビューを果たしたのだった。

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