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| 「ハンディの結納式」 私のジョグジャカルタの友人のほとんどは美術に関係した人たちだ。考えてみたら、美術関係者ではない友人を挙げるのが難しい。バリで暮らしていた時は、もっと村の生活に入り込んでいたので、知り合いには水田を耕すオッチャンから、市場で野菜を売っているおばちゃんまで幅広かったけれど、ジョグジャでは芸大に籍を置き、そのまま都会で暮らすようになったために、近所付き合いもほとんどないのだから仕方がない。 ジョグジャのアーティスト仲間の中でも、特に親しい仲間が何人かいる。ハンディウィルマンはその一人だ。彼はジャワの西隣にあるスマトラ島出身。1993年にジョグジャの国立芸術大学工芸科に入学して以来ジョグジャに暮らしている。彼は私が現在学芸スタッフとして手伝っている画廊ブンダ・アート・スペースのOPEN第一弾の展覧会をした作家でもある。その後の活躍ぶりはめざましく、2002年には東京のオペラCITYで開かれたアジア諸国の現代美術展覧会「アンダー・コンストラクション」展でインドネシア代表作家として作品も日本で紹介されている。
日本ではもう、今の時代ほとんど見ることができなくなった一昔前の苦学美大生をそのまま今の世に蘇らせたかのような暮らしぶりのハンディウィルマンが私は大好きだ。彼の作品も私はとても気に入っている。拾ってきた布切れや木片、樹脂の塊を縫い合わせたり、小さなガラスのボトルを溶かしたり、陰気にも見える作業ではあるが、彼はそこから意味を持ったオブジェを作り出す。何日も食をとらず、ひたすら制作していて、心配になった友人がご飯を差し入れすることもしばしば。
そんな彼も今年で30歳。去年は姉と妹が立て続けに結婚した。日本ですら、兄弟が順番を変えるととやかく言う人がまだいるのだから、インドネシアでは当然のごとく、彼が周囲から結婚を強制される。結婚は当事者のタイミングや必要性の問題ではなく、その家族のメンツと周囲の世話焼き爺や婆の執拗なおせっかいにより、やむを得ずするものだったりする。 インドネシアでは基本的にすべての結婚に関する儀礼が女性側の家で行われる。彼女の中部ジャワ、ブレベスにある実家が結納式の場。ハンディの両親はあまりにも遠距離なため、式には参加しなかった。そうなると一人でジョグジャに暮らすハンディには細かい冠婚儀礼に関する知識のある人が周囲にいないことになる。きっと何かと不安も多いだろう・・・と周囲の友人が心配する中、誰ともなく親しい友人たちが
こうしてジョグジャカルタから車で約8時間の中部ジャワの田舎町まで我が子ハンディを送ることになった。付き添いはスマトラ出身の友人6人、彼の最初の個展を企画したわが画廊のオーナー、そして代理ママの私。 午前11時から結納式を準備しているその当日、ジョグジャ一行は午前3時にようやく彼女の村に到着。安宿を探して疲れをとる。代理ママは式の際に化粧ノリがよくなくては困るので一人でとっとと寝たけれど、男衆はハンディをネタにほとんど寝ていないようだった。そして11時、彼女の家に・・・。 さすがは田舎の結納式。むこうは参加者みなさんインドネシアの代表的フォーマルスタイル、ジャワ更紗のワイシャツでお出迎えしてくれる。それに比べ、アーティストというのはどこの国でもやや常識に欠けるのか、ここでも皆さんラフなスタイル、中にはTシャツにジーンスって輩までいる。ハンディは今まで生きてきた中で初めてなのでは?と思うほどに小奇麗にしている。イスラムの正装である帽子までかぶっているので仲間に冷やかされながらも、ちゃんとむこうの人たちにも挨拶できて、代理ママもほっとした。
そしてこの場ですぐに、娘側の代表者が、
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