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「断食明け」 10月下旬から始まった一ヶ月の断食月を終え、11月25日に「イドゥル・フィトゥリ(断食明け)」がやってきた。
さて、断食明けの話に戻るが、この時期にジョグジャカルタにいたのは私の記憶では今年が初めてのような気がする。「イドゥル・フィトゥリ」は日本でいえば正月のようなもので、断食明けは家族と過ごす、というイメージがある。だから25日の前1週間は帰省ラッシュが激しい。ジャカルタの都会で働いている者が田舎へ帰るために、電車、バス、飛行機、主要道路、すべてが通常の200%という混雑ぶりだ。そんな環境の中、日本まで帰省するには時間も金もない私は、ジョグジャに移ってからというもの、断食明けが来ると、自分も「帰省」と称してバリの家族のもとへ戻っていた。
そして2003年の断食月をジョグジャで迎えた。回りのほとんどがイスラム教徒だし、毎日の断食の明ける時間(日没)にみんなでワイワイと楽しく食事をするのが楽しみたいがために、私は1ヶ月の断食期間中、通算で半分ほど断食した結果となった。 ★この世界には今でも貧困に苦しみ、今日の食にも困る人たち
がいるこの期間、私た ちも太陽の昇っている間は断食し、そうした人々の辛さを味わうことも大切。
上記は断食期間中の注意事項や目的なのだが、ちらっと読んだイスラム系の本によれば、この断食月はイスラム暦でいう一年の最終月、つまり断食明けというのは、まさに西暦でいう1月1日に当たるわけで、私が勝手に想像するに、我々日本人は師走には新しい年のためにスリッパを新調したり、家の大掃除をしたり、一年の総決算をするわけで、きっとイスラムのそういう一年の節目的な意味もあるんじゃないかと思っている。 「イスラム教徒に物言う!」じゃないけれど、結局はこの断食というもの、勿論宗教的な意味があってのことではあるけれど、1ヶ月の断食を実行できるのには、環境の影響も大きいなーと思う。それが証拠に、イスラム教徒でも、親元を離れて下宿している学生などには断食している者が少なかったりする。つまり、断食しないでいても、(恥ずかしい・・・)と思う対象、あるいは怒られる対象がいないからではないか?また、クリスチャンの友人が言うには、ここまで宗教大国のインドネシアでも、若い世代は不安定で汚職の多いこの国の現状を見て、宗教離れしているケースも多いらしい。大いなる存在自体は信じていても、それぞれの宗教が持つ規則などには縛られたくない、という考えが出てきているのは私も感じるところだ。過去に宗教の名を使用して国を治めようとしてきたインドネシア共和国の弱点が今の世代の若者に暴かれてしまっている感もある。
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