ジョグジャカルタタイムズ

「断食明け」
( Hari Raya Idul Fitri)

  10月下旬から始まった一ヶ月の断食月を終え、11月25日に「イドゥル・フィトゥリ(断食明け)」がやってきた。
  年末年始にかけ、クリスマスも正月もあるけれど、インドネシア国民の約8%しかいないクリスチャンの祝日クリスマスは、ここではさほど目立たない。90%以上の信者を持つイスラム教の祝日は一番盛大だ。
 ちなみに、インドネシアで公式な宗教として認可されているのはイスラム教、キリスト教(カトリックとプロテスタント)、ヒンドゥー教、仏教。最近はこれに加えて浄土真宗が加わった。これらの宗教は、国で発行されるIDカードにも表記される。一番多い信者を持つのはイスラム教。インドネシア国民の90%つまり1億5000万人以上がイスラム信者ということになる。世界中でイスラム教徒の数は約8億人だから5人に1人はインドネシア人だ。
 キリスト教はカトリックとプロテスタント合わせて約1500万人、全体の約8%、バリ島民の99%はヒンドゥー教徒だが、国から見たらわずかに300万人、2%にもならない。仏教もヒンドゥー教と同じくらいの信者がいる。

 さて、断食明けの話に戻るが、この時期にジョグジャカルタにいたのは私の記憶では今年が初めてのような気がする。「イドゥル・フィトゥリ」は日本でいえば正月のようなもので、断食明けは家族と過ごす、というイメージがある。だから25日の前1週間は帰省ラッシュが激しい。ジャカルタの都会で働いている者が田舎へ帰るために、電車、バス、飛行機、主要道路、すべてが通常の200%という混雑ぶりだ。そんな環境の中、日本まで帰省するには時間も金もない私は、ジョグジャに移ってからというもの、断食明けが来ると、自分も「帰省」と称してバリの家族のもとへ戻っていた。
 もともと、バリで暮らしていた時期は周囲の友人はすべてバリ人(ヒンドゥー教)だったので、断食はまったく別世界のことだった。勿論、90%がイスラム教徒のインドネシアではこの時期のほとんどのTV番組が断食特集的で、バリ人が退屈そうに見ているのは知っていたけれど、現実からは遠かった。
 1999年にインドネシア政府の留学生としてジョグジャに来た時、初めて身近に断食の様子を見、小学生でもできるものを、私にできないはずがない・・・と試したことがある。ただ、その時は、断食の明ける数日前から帰国していたため、やはり祝日の様子を実際に見ることはできず、私は東京のインドネシア会館という場所で500人のインドネシア人が一気に集まって断食明けを祝うのに参加した。

 そして2003年の断食月をジョグジャで迎えた。回りのほとんどがイスラム教徒だし、毎日の断食の明ける時間(日没)にみんなでワイワイと楽しく食事をするのが楽しみたいがために、私は1ヶ月の断食期間中、通算で半分ほど断食した結果となった。
 そうだ、まずこの断食というもの、一体なぜするのか? 文献から学んだのではなく、周囲の友人たちの言うことを聞いて知ったのだが、目的はこうらしい。

 ★この世界には今でも貧困に苦しみ、今日の食にも困る人たち  がいるこの期間、私た  ちも太陽の昇っている間は断食し、そうした人々の辛さを味わうことも大切。
 ★行動時間内ずっと飲食を断つことで、食の大切さを知り、毎日食べることのできる(食   物を与えられる)ことに感謝する。
 ★断食期間中は怒ったり、人を憎んだり、悪口を言ったり、キレイなお姉さんを見て「ヒョ   ーヒョー!」と思ってもダメ。こうした俗的な感情をコントロールすることも大事。
などなど・・・。

 上記は断食期間中の注意事項や目的なのだが、ちらっと読んだイスラム系の本によれば、この断食月はイスラム暦でいう一年の最終月、つまり断食明けというのは、まさに西暦でいう1月1日に当たるわけで、私が勝手に想像するに、我々日本人は師走には新しい年のためにスリッパを新調したり、家の大掃除をしたり、一年の総決算をするわけで、きっとイスラムのそういう一年の節目的な意味もあるんじゃないかと思っている。
 実際、インドネシアでは、断食明けの祝日ために老いも若きも新品の服を買いたがる。まるで昔の日本が「正月には着物!」とか「買った服は正月におろそう・・・」と思ったようなものではないか。さらに似ているのがお年玉。もちろんそんな言い方はないけれど、子供たちは封筒に入ったお小遣いを大人からもらう。日本と少々違うのは、近所のガキ(血縁関係でない)にも渡す風習。もちろん経済レベルがピンきりのインドネシアでは、こうしたことのできる人は、生活レベルの高い人に限られているが・・・。

 「イスラム教徒に物言う!」じゃないけれど、結局はこの断食というもの、勿論宗教的な意味があってのことではあるけれど、1ヶ月の断食を実行できるのには、環境の影響も大きいなーと思う。それが証拠に、イスラム教徒でも、親元を離れて下宿している学生などには断食している者が少なかったりする。つまり、断食しないでいても、(恥ずかしい・・・)と思う対象、あるいは怒られる対象がいないからではないか?また、クリスチャンの友人が言うには、ここまで宗教大国のインドネシアでも、若い世代は不安定で汚職の多いこの国の現状を見て、宗教離れしているケースも多いらしい。大いなる存在自体は信じていても、それぞれの宗教が持つ規則などには縛られたくない、という考えが出てきているのは私も感じるところだ。過去に宗教の名を使用して国を治めようとしてきたインドネシア共和国の弱点が今の世代の若者に暴かれてしまっている感もある。

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