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| 「ワッツ・イン・ユア・ポケッツ」 先月号でも報告した、日本アセアン友好年イベントの一つとなる美術展「ワッツ・イン・ユア・ポケッツ?」の準備がちゃくちゃくと進んでいる。もともと作品から作家選考をしているので、どんな作品が出てくるかは想像できている。あとは私と共同キュレイターのササン氏とで、2フロアある会場にどのように10名の作家の作品をディスプレィしていくかを相談する。 今回は予算節約のため、展覧会準備スタッフが最小限に抑えられている。だから私はキュレイターをしながら、カタログやポスターのデザインもしなければならない。選んだ作家10名の作品の撮影もする。今回共同でキュレイターをお願いしたササン氏には4ページに及ぶ長い解説文を書いてもらったのだが、これを日本語訳するのも私の仕事だった。 1週間は毎日彼の論文に目を通し、いつかは全体のポイントがつかめるだろうと思っていた。ところが甘かった。折りしも、彼の恩師に当たるアーティストでありインドネシアの新進若手キュレイターでもあるアスモジョ氏が展覧会の用でジョグジャにやってきた。彼は私が困っているのを知り、 自分のインドネシア語能力のなさを責めていたけれど、問題はそれだけではなかったようだ。私は少し安心したけれど、電車で8時間の街までわざわざ出かけることになったのには閉口した。そしてアスモジョ氏の帰るのに便乗して、翻訳完成の旅にバンドゥンへと発った。 ササン氏に会い、直接解説をもらって何度も質問をしては解説してもらって・・・と繰り返せば、ようやく彼の伝えたいこともわかってくる。それにしても、なんでここまで要点を包みに包んだモノの言い方をするのか・・・。過去にあまりインドネシア語で美術論文を読んだことがなかったけれど、どうやらこれがバンドゥン(ジョグジャとはまた別の個性を持った美術の街)のスタイルらしい。ササン氏自身に私の率直な感想を言うと、 私が今回この仕事を難しく思ったのは、単に内容を翻訳するだけでなく、共同キュレイターとして、彼と意見を同じくしておく必要があったからだと思う。作家選考の際に、私の選考の条件を彼には伝えた。それを彼自身が消化し、文章にしたのが今回の論文だったのだ。ただ、ここで痛感したことは、美術の世界でもまだまだ先進国と高進国の間の相違が多く、彼がこうだと語ることが、日本人の私にはピンとこない部分もたくさんあった。誰を対象にして語るのか、これも大事な問題であることが今回よくわかった。 生まれて初めて文字だけが浮かんでは消えるという、マトリックス的な夢まで見るほどに悩んだ論文もなんとか日本語訳が完成し、10名の作家の魅力的な作品をカラーで入れた全30頁のカタログデザインも終わり、ちょうどこれを書いている今日、すべての資料が印刷に回った。ここしばらくはマトリックスの夢を見ずに、ゆっくりと眠れることだろう。
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